自己紹介
U.K.です。昭和47年1月20日生まれの53歳です。福祉系大学を卒業後、25年間介護の仕事に従事してきました。主に施設で認知症の方々と関わる仕事をしておりましたが、10年前に独立し、個人で介護関連事業を営んでいます。
がんへの道のり?最初の兆候
がんとの出会いは2007年、35歳の時でした。職場の健康診断で初めて検便検査を受けたところ、血が混じっているということがわかりました。
そこで精密検査を受けるため、大阪府立成人病センター(現在の大阪国際がんセンターの前身)で大腸内視鏡検査を行った結果、ポリープが発見されました。その後も何度かポリープの切除を行ったことからポリープができやすい体質なのかなと思ったのを覚えております。
起業と健康診断の空白期間
2016年、44歳で独立起業しました。自営業となったため健康診断は自主的に受ける必要があり2016年から2018年まではきちんと受診していましたが、2019年、47歳の時に健康診断を受け損ねてしまいました。急ぎ予約を取りましたが、秋まで待つ状況でした。
がんの発見?症状の悪化と診断
そんな健康診断の予約を待つ間に症状が現れました。便秘気味になり、排便が困難になりました。また、自転車での移動中に臀部に今までにない痛みを感じるようになりました。さらに、排便後に血液が付着しているのを発見しました。
これは深刻だと判断し、インターネットで急ぎ検査してくれるクリニックを探して受診しました。検査の結果、医師から「直腸がんの可能性が高く、人工肛門になる可能性もある」と告げられました。確定診断ではありませんでしたが、率直に驚いたというのが正直な気持ちです。
確定診断と手術の必要性
クリニックから大阪国際がんセンターに紹介され、詳しい検査を受けました。大腸の解剖図で説明しますと、上部の結腸であれば切除してつなぎ合わせることができますが、私の場合は直腸の最下部、肛門に近い部分にがんがあったため、つなぎ合わせる部分がありませんでした。そのため人工肛門が必要となることが確定しました。
そして2019年9月、大阪国際がんセンターで人工肛門の造設手術を受け、現在も人工肛門で生活しています。
人工肛門について
人工肛門をご覧になったことがない方もいらっしゃると思います。写真をお見せしますが、左腹部下方にこのような袋状の装具を装着して日常生活を送っています。
人工肛門になった時の気持ち
人工肛門になることについて、それほど大きなショックは受けませんでした。介護の仕事を通じて人工肛門を持つ方々と接した経験があったからではないかと言われました。
一方で驚いたのは、永続的な人工肛門の場合は身体障害者になるということでした。一時的な人工肛門もあります。例えば元フジテレビアナウンサーの中井美穂さんは1年間限定で人工肛門を使用されていたと先日NHK番組で語られていました。しかし私の場合は永続的なため、身体障害者となりました。
障害者手帳の取得とエピソード
身体障害者手帳4級を取得しました。そのため自動車税の免除や高速道路のETC割引を受けていますが、見た目には健康そのものなので申し訳なく思っています。
患者会との出会い
人工肛門になった時、患者会を探しました。それは介護の仕事を通じて、認知症の人と家族の会という会の集まりに参加した時、認知症の人を介護されている家族が困りごとを共有し、「今日は来て良かった」と言われる方々を多く見てきたからです。同じ立場の人との交流がいかに重要かを理解していたため、人工肛門の患者会を探して入会、現在も時間があるときは参加しています。
第2章 転移との闘い?人生最大の落ち込みから立ち直り
抗がん剤治療の開始
手術後は飲み薬の抗がん剤を服用し、定期的に通院・検査を行っていました。特に問題なく経過していましたが、2022年9月の診察でCT検査の結果を聞いた際、肺への転移が判明しました。
人生最大の落ち込み
これまでの人生で最も落ち込んだのがこの時でした。その日は仕事の予定がありましたが、とても仕事をする気になれず、理由は告げずにキャンセルしました。母や妻に状況を説明しましたが、気持ちは落ち着かず、むしろ妻に厳しい言葉を投げかけてしまうなど、自暴自棄な状態でした。
話すことがうまくいかないと「肺だけでなく脳にも転移しているのではないか」などと悪い方向ばかり考えてしまいました。がん相談支援センターに複数回電話をかけて相談しました。また、この時期に1・3・5の会を知り、入会させていただきました。
本格的な抗がん剤治療の開始
肺転移が判明してから、本格的な抗がん剤治療が始まりました。これまでの飲み薬とは異なり、点滴での治療となりました。そのため、ポートと呼ばれる物を体に設置する手術を受けました。写真では見にくいかもしれませんが、右胸部にこのような器具が埋め込まれています。
抗がん剤の選択
抗がん剤には複数の選択肢がありましたが、どれを選ぶべきか分からず迷いました。しかし、いずれも副作用があることが説明されたため、副作用の程度で判断することにしました。二つの主な選択肢がありました。一つは皮膚疾患と手足のしびれが主な副作用のもの、もう一つは脱毛と下痢が主な副作用のものでした。そして人工肛門を使用しているため下痢は避けたいと思い、皮膚疾患としびれが副作用の抗がん剤を選択しました。
抗がん剤治療の実際
2週間に1回通院し、採血、診察、必要に応じてレントゲンやCT検査を受けた後、抗がん剤治療を行います。診察後、薬剤の調製に約1時間待機し、その後病院で3時間かけて点滴を受けます。
さらに、46時間継続する持続点滴が必要で、これを自宅に持ち帰ります。以前は入院が必要でしたが、医学の進歩により在宅で可能になったことは有難いことです。治療開始から2日後に自分で点滴を外します。
抗がん剤の副作用
予想通り副作用が現れました。手足のしびれが最も辛く、水を飲んでもピリピリと不快感がありました。ボタンや靴紐を結ぶ、爪を切るといった細かい作業が困難になりました。そのため、ボタンは妻に最上段以外を留めてもらい、服をかぶるように着用し、爪切りも妻に依頼していました。
皮膚疾患では、ささくれやひび割れがひどく、非常に痛みました。腫瘍皮膚科にも相談しましたが、なかなか改善しませんでした。最も辛かったのは顔の皮膚疾患でした。幸い、コロナ禍でマスク着用が義務付けられていたため助かりましたが、写真のような状態で、とても人前に出られるものではありませんでした。
抗がん剤の調整と改善
あまりにも副作用がきつかったため、主治医と相談し、基本成分のみの治療に変更しました。すると驚くほど改善し、ささくれもなくなり、顔もきれいになりました。それに伴い、精神的にも安定、気持ちも落ち着きました。
しかし、しびれだけは現在も残っています。当時ほど強くはありませんが、今でも手足に違和感やピリピリ感があります。新聞で読んだ方法や講演で聞いた薬について主治医に提案しましたが、採用には至りませんでした。
第3章 次なる転移と治療の変化?現在への歩み
継続治療と新たな転移
その後も2週間に1回の通院を継続し、基本的な抗がん剤のみを受けていました。病院での滞在時間は2時間半に短縮されましたが、持ち帰り点滴は継続していました。約2年間この治療を続けましたが、検査の結果、膀胱近くに腫瘍が発見されました。神経への影響を避けるため、通常の放射線治療ではなく重粒子線治療を選択し、昨年10月にがんセンター隣接の重粒子センターで約1ヶ月間治療を受けました。
治療法の変更
昨年末頃から、採血でがんマーカーの数値上昇が認められていました。経過観察を続けていましたが、約1ヶ月前のCT検査で新たな病変が発見され、再び抗がん剤治療が必要となりました。
これまで使用していた皮膚疾患やしびれを伴う抗がん剤は、副作用がきつかったため選択できません。飲み薬もありますが効果が不確実とのことで、残るは脱毛と下痢が副作用の抗がん剤のみとなりました。今月13日に開始したばかりで、まだ1ヶ月も経っていないのが現状です。
おわりに
私の人生観
様々な経験をお話ししましたが、私はいつも「なるようにしかならない」と考えています。どうにもならないことを考えても仕方がないという、前向きかどうかは分かりませんが、そのような気持ちで毎日を過ごしています。毎日を悔いなく精一杯生きていこうと心がけています。
長時間にわたりお聞きいただき、ありがとうございました。
※生のお話を知りたい方は、こちら(第1部 勉強会)をご覧ください。